今日はシリアスな思い出話です。
⚠︎今回は笑いは含まれておりませんので、ご了承ください🤲
私は以前、整形外科の病棟に勤務していました。
整形は他の診療科に比べると
格段に患者さんの平均年齢が低かったです。
大人でさえも大変な入院生活💦
お子さんの闘病とそれをサポートする保護者の方は、
本当に心身共に辛い想いをされていると思います。
私の中でとても記憶に残っているのがKくん。
小学5年生から
何度も何度も入退院を繰り返していました。
当時、私は看護師2、3年目で
年の離れた弟のような感じでした☺️
多分、常連化してしまったことで
“慣れ”もあったからだと思いますが、
The 反抗期😎 でした。
朝は(起こしても)起きない。
挨拶は基本、無視。
話しかけるとバカにされ
返事があっても一言。
という感じでした。
Kくんがハイチュウを食べていた時に
私もブドウ味好きだな〜💕と言うと
K「は??グレープ🍇だし。」
「だっせー!!🤪」
と小馬鹿にされたことを今でも覚えています😌
Kくんは頻繁に採血をしていました💉
しかも、取りにくかったです😓
私が採血をしたことがあり、
一発で成功すると
「なんだ、やるじゃん⭐️」
と
珍しく褒められた時は本当に嬉しかったです。
Kくんが6年生になり、
修学旅行に行けるかどうか心配していました。
治療のタイミングや
出るであろう副作用のタイミング等
主治医はきちんと考えてくれていました👨⚕️
外来診察の時🏥
たまにお母さんと一緒に病棟に顔を出してくれていました😊
K「京都に行ってきた🍁」
修学旅行に行けて良かったね〜😆🙌
と話していたんです。
その冬。
Kくんは急変して緊急入院しました。
その時は、別の病棟だったので、
院内でKくんのお母さんにバッタリ会った時に話を聞いていました。
紙カルテ時代も、
薬や点滴などのオーダーはパソコンだったので、
病棟が違っても、オーダー内容は見ることが出来ました。
Kくんにオーダーされた薬や点滴の内容を見ると、、、
なんとも言えない気持ちになりました。
ある日の朝。
私は日勤で出勤し、
いつも通りバタバタしていました💨
病棟に一本の電話が入り☎️
なにやらザワザワとただ事では無い空気でした。
先輩ナースに「いもちゃん❗️」と呼ばれ、
明け方に
Kくんが亡くなられたと聞きました。
ちょっと…
言っている意味が分からない。
先程の電話は、
※エンゼルが終わったからお迎えが来る前に、と
連絡してくださったようでした。
私は先輩ナースと共に走り、
息を切らしながらKくんの病室の前に着きました。
扉を開くと、
ベッドサイドにご家族が揃われていました。
※エンゼルなんて何度もやっているし、
お見送り(死亡退院のこと)なんて
よくあることなのに、
なんか、
身体が動かない。
中に入れない。
先輩ナースが先に入室し、
私は頭の中が真っ白になりながらも先輩に続きました。
Kくん。。。
その日は、クリスマスでした🎄
私なんて、
Kくんにとってはただの病院の一看護師で、
赤の他人で、
友だちでも家族でもないけど、
涙が止まらない。
顔を見たいけど、見たくない。
見れないよ。
Kくんは、
ご家族に見守られながら息を引きとったようです。
もう
「バカじゃねぇの⁉️🤪」
と
憎まれ口も聞けないんだな。
入院はいつも私たちの病棟だったのに、
最期だけ担当させてくれなかったなんて…
本当に反抗期ですね。
でも、
本当は優しい子でした。
誰よりも強い子でした。
まだ、12歳の男の子👦
学校に行けない日々、
辛くエンドレスな治療、
必ず出てくる副作用、
処置や検査も嫌がったことは一度も無く、
不安も弱音も聞いたことがありませんでした。
Kくんのことは一生忘れません。
私は今でも
ブドウ味のハイチュウが大好きです🍇
ここまでお付き合いくださって、ありがとうございました。
※エンゼルの詳細はコチラです⇩⇩⇩oimo-chan.hatenablog.com
どうぞ、ここからは笑ってください😆
【今日のテツコ】のコーナー🎉
よ、
よ、
読めないΣ(-᷅_-᷄๑)
ステゴサウルスの子なの⁉️
職業は、
公務員かな??笑
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